シンパシーの天丼

 本を読んでいて著者に深い共感を覚えると、嬉しくなりますよね。「仲間!」と思います。
 それは、偉い人(たいてい故人)でも、存命の若い人(なんやそれ)でも関係ありません。私の場合、「特にシンパシーを感じる、特に偉い人」は吉田健一です。いやもう、ただ食いしん坊という1点において、ですけど。
 よく「吉田健一さんも言ってたけど─」と、私がエピソードとして使わせてもらってるのは、天丼の話です。あ、名随筆なんで、未読の方はぜひ、お読み下さい。

 どんな話かと言うと、吉田健一が食べる楽しみ(天丼)について、ただ事細かに書いてあるだけなんですが、

「どうせ天丼を食べるなら、隣りの天ぷら屋が間違って届けてきたのを、折角だからと言って食べるのではなく、前日から、明日は天丼を食べようと決めておいて、衣のさくさく感などを想像して楽しみ、当日にはまた店の前でもう一度、サンプルを見て楽しむのがいい」
(※注:私の適当な要約です)


 みたいなことを言ってます。
 笑う~。ほんとにおかしい。めっちゃよく分かる。

 最近になって、優雅な原文を読みたくなって読み返してみたら、もっともっと言い募ってあって、また笑ってしまいました。

 戦時中、偶然にその日だけ営業している天ぷら屋に行き合い、券(券をもらえた者だけが行列を作って待つ)も入手して、順番を待って、ようやく食べた。

 だが、

─それが案外なことに、行列で立つてゐる時に想像した程のものではなかつた。行列で立つてゐた時間が短過ぎたのであつて、当時の習慣で昆布茶にパンの一切れでも付けてくれる店がどこかにないかと思つてうろうろしてゐた際に、いきなり、天麩羅がありますと言はれても、体の細胞の方がさう簡単にそのやうな大御馳走を受け入れる態勢に切り替へられるものではない。

─併しもしこれが前の日から解つてゐたことだつたらどうだつたらうと思ふと、残念になる。夢に天麩羅を見て、朝、出掛ける時から券が入るかどうかが心配になり、何だかんだとあつて、天麩羅が眼の前に現れてからも、穴子を先に食べるか、それとも烏賊にするかで、まだ箸を付けずに楽めたに違ひない。

(本文より引用。強調部、私)


 はっはっは。ここまで言ってたっけ。
 もう古いけど、言いたいです。どんだけー。
 いや、わかるわかる。

 ついには、ポオチド・エッグを食べに英国へ行くことを妄想しておいでです。

旨いものはうまい天丼の話のタイトルは「三楽」
いろいろな本に収録されていそうですが、これが安いかな。『旨いものはうまい グルメ文庫』(吉田健一/角川春樹事務所)
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  •   19, 2009 17:21